日本人の誇りを高らかに謳い上げよう!
25、お父様は腹を立て、中坊を校内に入れず連れ帰った。火炎瓶はこの対応に疑問を抱いた。
元々中坊が友達と一緒に学校生活を送る事が望みであったはずなのに、
何故父親が校内に入る必要があるのか。
26、お父様の言い分としては、一般男性に怪我を負わせた乱暴な副校長が未だに学校にいる
事、S君やB君と喧嘩をした時に中坊を担ぎ上げて怪我をさせた(ウソだった)A教諭が
三学年の学年主任であり、理科の担当なので中坊の身の安全が確保できないと言う。
この頃は、親子が火炎瓶を何でも言う事を聞くものと思っているような高圧的な態度に
なっており、火炎瓶は辟易していた。中坊自身もふてぶてしい子供で、教諭達を怖がる
ような、おとなしい子供とはとても思えなかった。
27、新年度になり、中学校は校長が代わった。中坊は相変わらず学校に行かず、その代わり
中坊宅へ家庭訪問に来る校長や担任と親子との会話を撮影し、ツイッターにアップする
ようになった。
28、火炎瓶のブログの閲覧数が月に1万数千回となり、親子は世論が味方になっていると
思ったのか教諭らを恫喝するような発言を平気でアップするようになったので火炎瓶が
注意した。しかし、親子はつけあがるばかりで火炎瓶はこの親子を助けた事を後悔する
ようになった。痔来也やnaoは正常かと思っていた火炎瓶は、親子の素行について二人
に相談する事が増えていった。
29、しかし足立区側が「中坊を教室に入れる」との公文書を発しており、中坊もその写真を
ツイッターにアップしていたため、中坊が教室へ入らないのは「自己責任」であると
世論も判断するようになった模様で中坊もとうとう学校に通学するようになった。
(教育委員が一人、中坊の監視役としてぴったり張りついた。この措置について火炎瓶は
足立区側が意地になっているものと勘違いをしていたが、中学生でありながら異様な程
嫌がらせに熱中し、「カチコミ」までする中坊が危険視されるのは当然であろう。)